田中の雑記

趣味の記録帳です。思ったことを徒然に書きます

鬼滅の刃について

お久しぶりです。

 

鬼滅の刃を読みました。アニメは見ていません。今更ですが、感想を書いてみたいと思います。

すごく話題になっています(いました)よね。もう乗り遅れている感は否めませんが、自分の書きたい時に書きたいことを書くために始めたブログです。いま書きたくなったので、書かせてください。

こう書き出してふと思いついた(普段から考えていることなので思いついたというのは適切ではないんです。しかし、しっかりニュアンスを表現しきれる言葉が見つからないので、こう表現させてください。文章の難しさですね。英語の勉強している時や、小説読んで作者に想いを巡らせるときなんかに思いますが、一つ一つの場面でどの単語を選択するのが正しいのか。正しいというか、相手に伝わるのか、もしくは人を感動させたり、文章に入り込ませたり、不自然にならずにコミュニケーションを取れたりだとか、言葉一つで変わりますよね。校長先生の話の面白い面白くないっていうのの要素の一端を担っている。人前で話す経験があって、今の話は聴衆の興味を引けたな!っていう体験を何回かしたことがあって、その理由もおそらく同じところから来ていると考えています。今もこの文章を書く際に、無駄な単語は入っていないのか、もっと適切で、親しみやすい表現はないのか、考えながらタイピングをしています。もっと良い文章が書けるようになりたいですね。)

こう書き出して思いついたのですが、皆さんは、常に自分のしたいこと、できていますか?学生ならきっと壁になるのは、「いじめ」だと思います。虐められてなんかない!っていう人でも、いじめられっ子にならないために無意識にでも意識下でも、空気を読んだり、人と同じことをしなくてはいけない瞬間ってありませんか?社会人の方はいわずもがな、いまご自身が立派に勤め上げている仕事、御自分のしたいことでしょうか。やりがいはありますでしょうか。家族のために我慢して働いている方も、そこにやりがいを見出している方も、仕事自体が楽しくて仕方がない「仕事人間」の方も、その仕事はあなたでなくてはつとまらないものでしょうか?あなたが亡くなった後、会社もなくなったあと、子供や孫もなくなるような遠い未来、その仕事をしていた証はなにか残るのでしょうか?極端な話、10年後、100年後の人類の進化に、あなたの仕事は、あなたの存在は貢献できていますか?そうでないならば、その貢献以上の楽しさ、生きがいを、見いだせていますか?周囲の人間関係ありきで、その日を乗り切るための作業、会話、「鍛えられた猿でもできる仕事」に、時間を費やしてしまってはいないでしょうか。突然失礼しました。私はこのような考えの答えを見出すのに10年程度の時間を要しました。

 

さて、いよいよ鬼滅の刃感想です。面白かったですね。話題になっている理由がわかる気がします。すごく、親しみやすい漫画でした。夢中になって一気に読める、少年漫画の王道としての友情、努力、勝利がそこにあります。シンプルで小気味良い、古き良き少年漫画です。主人公はかっこかわいいし、友情チームも燃えるし萌えるし、みんな真っ直ぐで、敵との心のぶつかり合いの中で成長し、共通の大敵へと向かっていく。絵柄もきれいで、主人公の妹なんてもう可愛くて可愛くて。。全巻新刊で(Kindleで)購入し、明け方まで一気読みしてしまいました。

しかし、楽しく読んでいたのですが、少なからず違和感も感じています。そういう気持ちも、このブログを久しぶりに思い出す一助になったのかもしれません。それは、ひとことで言えば「どっかでみたことあるな」でしょうか。盗作とかそういうことを言うつもりは一切ございませんし、全くそう思っていません。

私は昔から大の漫画付きで、少女漫画も少年漫画も成年コミックも、話題作はもちろん絵柄の気に入ったもの、目に止まったものも片っ端から読むような漫画フリークです。出張もわざわざ漫画喫茶を選択して宿泊し漫画を読み、Kindleに10万円以上課金する月もあります。なぜこんな情報を出したかと言えば、それは、最近の漫画と昔の漫画の、1つ大きな違いに気がついたような気がして、これを紹介したかったからなのです。その違いとはつまり、昔は漫画とかアニメなんていわゆるオタクの文化で、読んでいるのは一部の限られた人たちでした。なので人に会話を合わせるためのツールとしての位置づけとは異なり、本当に好きな人たちだけがこっそり楽しむものでした。しかし今ではまったくそんなことはなく、むしろ芸能人もオタク、おこもりさんアピールをして人気になるような時代です。昔の漫画好きと、今の漫画付きは意味が異なるのです。昔の狭い意味での趣味としての漫画と、現代のコミュニケーションツールのひとつとしての漫画。昔の作家と今の作家の数あるだろう違いの中で、今回私が思ったのは、漫画を読んで育ったかどうかです。アイデアのもとが、漫画か、それとも、映画や小説などそのほかのいわば「古い」娯楽か、この違いが、今の漫画全般に見えてしまう既視感の原因であると考えます。つまり、昔から漫画を読んできた私のようなオタクには、同じ漫画を読んで青春を過ごしてきた同世代の漫画家たちと似た漫画におけるバックグラウンドが存在し、昔の漫画が好きであればあるほど、アイデアの出どころが似てきており、どこかで見たことあるな、と感じる要因になっているように思います。

繰り返しますが鬼滅の刃は非常に面白かったですし、文句をつける気は一切ないのですが、このようなことを思いついたので書き留めておきたく筆をとった次第でした。

 

こんな文章を書いている時点で老害ですね。物事を始めて、純粋に新しいことが楽しいステップ、随分中身が見えてきて人に教えたり、共有して楽しむステップとある気がしますが、ごちゃごちゃどうしてこう考えたか、という理由を自分の中に探している時点で、私が漫画を楽しんで良い時期は終了したのだと感じました。漫画フリークは引退が近いですね。